白梅と空と。
頬を撫でる風に温もりが差し、春風が街を吹き抜けて、電車の乗客の装いも、少しずつ変化が見られる今日この頃。
通勤途中に通りすがる神社の社の傍には、待ち侘びたように梅の花が遠慮がちに咲き始め、季節の巡りを知らせてくれます。
出会いと別れが交錯する季節、私には別れの方が訪れました。
新型コロナ流行の影響と、体調不良、高齢であることから、会うことができなかった祖母が旅立った。
仕事柄、人の生き様や命に関わることが多いけれど、命が果てるという事に慣れすぎたのか、自分のよく知った見内の事なのに、悲しさと言った込み上げてくるものがない。
ただただ心の内は、過ぎる程に静寂で、返ってその方が悲しい。
強い風に吹かれた梅の花は、その花弁を散らしていて、その様子に、命というものを重ね見た気がしました。
祖母は料理が得意で、正月になれば、仕事仲間や縁のある人達にお節を作ってあげていました。
その様子を見ながら、誰かを喜ばす事ができるって、本当に凄い事だと感じていました。
今、自分は誰かを喜ばせているだろうか。
私の記憶の中の祖母はあの時が咲き誇る梅だったと、いつもは通りすぎる梅の花を、今日はマジマジと見つめながら思うのでした。
「綺麗だなぁ。」
白梅の花言葉は「気品」なんだそう。
気品は、尊敬される人徳と品格のこと。
祖母の様に、誰かに何かをしながら、それに喜びを感じるという姿は、私にとっては間違いなく「気品」でした。
自分もそんな生き方をしよう。
青い空に目をやりながら、祖母を思うのでした。