研修は退屈?

前回の記事で、剣道と子育てについての本が出版となったことを書きましたが、この度、恐縮ながら2冊目の電子書籍が刊行されました。

今回の本のテーマは研修です。

私は以前介護職員として高齢者福祉に携わっていたのですが、その時の経験を原稿にしたところ、誤嚥があって、それを書籍化して頂きました。

 

研修、好きという方は少ないのではないかなと思います。

何故か?

その要員の一つは「つまらない」ではないでしょうか。

実際、よほど興味があり、自分で選んで参加した研修以外の、否が応でも受けなければならない研修は、私も退屈な思いをすること、多かった様に感じられます。

私はある期間、研修委員として、施設の社内研修を企画する立場に身を置いていました。

その時の私は、どうせやるならつまらない研修はしたくないと、様々な工夫をしながら、「面白い」とは何なのか、どうしたら参加して良かったと言ってもらえる研修になるのかを突き止めようとしていました。

この本は、その頃の私が考えた事や調べた事、実践してきた事について書かせて頂いた研究記録的な読み物です。

もし、これから福祉施設で働こうとされている方や、研修を企画しなければならない立場に新たに就任された方に、こういった実践もあったという一事例として、予備知識的に読んで頂けたら幸いです。

この本にたどり着いた方の中には、どうしようかと悩まれている方もいるのではないかと思います。

ほとんどの場合、特に介護の世界の場合、初期の職員の育成過程に、研修の実施方法なんてものはないのですから。

そんな方々のことを、恐縮ではありますが、ほんの少し勇気づけられたら思い書き綴りました。

もしご興味ありましたら、ご覧頂けたら嬉しいです。

せっかくの学びの機会、受講者だけでなく企画者にとっても、有意義な時間となった方が良いに決まってますよね。

皆様にとって、拙著がその一助となればと思います。

 

 

 

剣道と子育てと。

 

 

子育てに悩むこと、ありませんか?

真剣に向き合うからこそ、わからなくなることや、ネットや本で広く言われていること、世間で言われている情報は、はたして我が子に当てはまっているのか?

より良い成長を願うからこその悩み、子育て世代なら、そんな課題に一度は直面するのではないでしょうか。

私の場合は、剣道を通して、我が子に向き合ってきました。

剣道で学ぶことは、子供達のより良い成長という面で、子育て、家庭教育と親和性があるのではと感じています。

そして、そんな思いから、この度本を執筆、リリースさせて頂くことになりました。

もしご興味ありましたら一度表紙だけでもご覧ください。

特にお父さん方に向けて、子育てに向き合っておられることへの応援と、もしお役に立てることがあればという思いを込めて書き綴りました。

ペンネームは「むぎちゃ」です。

子供達がやけに好きだったので。

大変なこともあるかも知れませんが、大切な子供達と、少しでも楽しく、一緒に成長していけたら素敵ですね。

未だ私も旅の途中。

笑顔で、前を向いて、成長を楽しもう!

 

白梅と空と。

頬を撫でる風に温もりが差し、春風が街を吹き抜けて、電車の乗客の装いも、少しずつ変化が見られる今日この頃。

通勤途中に通りすがる神社の社の傍には、待ち侘びたように梅の花が遠慮がちに咲き始め、季節の巡りを知らせてくれます。

出会いと別れが交錯する季節、私には別れの方が訪れました。

新型コロナ流行の影響と、体調不良、高齢であることから、会うことができなかった祖母が旅立った。

仕事柄、人の生き様や命に関わることが多いけれど、命が果てるという事に慣れすぎたのか、自分のよく知った見内の事なのに、悲しさと言った込み上げてくるものがない。

ただただ心の内は、過ぎる程に静寂で、返ってその方が悲しい。

強い風に吹かれた梅の花は、その花弁を散らしていて、その様子に、命というものを重ね見た気がしました。

祖母は料理が得意で、正月になれば、仕事仲間や縁のある人達にお節を作ってあげていました。

その様子を見ながら、誰かを喜ばす事ができるって、本当に凄い事だと感じていました。

今、自分は誰かを喜ばせているだろうか。

私の記憶の中の祖母はあの時が咲き誇る梅だったと、いつもは通りすぎる梅の花を、今日はマジマジと見つめながら思うのでした。

「綺麗だなぁ。」

梅の花言葉は「気品」なんだそう。

気品は、尊敬される人徳と品格のこと。

祖母の様に、誰かに何かをしながら、それに喜びを感じるという姿は、私にとっては間違いなく「気品」でした。

自分もそんな生き方をしよう。

青い空に目をやりながら、祖母を思うのでした。

 

 

笑う門には

 

 

 

しばらく記事の更新をお休みし、啓発本を読んだり、趣味事、特に剣道の稽古に勤しんだりと、自分の中の体験や知識の引き出しを拡張する時間に充てていました。

久しぶりの記事のテーマは笑う門には、です。

 

そういえば、節分って……?

時の流れが早すぎると思う今日この頃。昨日は節分。余談ながら、高校生頃の私の節分に対するイメージは、子供達が豆を家中に巻き散らかすことを許され、父親に向かって合法的に物理攻撃を加えながら笑い転げるという暴虐の限りを尽くし、その暴挙と痛みに耐えながら、2月の寒空に逃げていかなければならない父親と、それを意味ありげに笑いながら見つめる妻という映像が浮かぶ、1年の中で最も恐ろしい日だというもの。悲しすぎる。幸い家庭を持つようになって、子供達もいろいろと理解するようになり、豆まきを楽しむようになってからは、そんな悲しい思いをリアルで体験することには至っておらず、豆は袋詰めだし、豆もそこまで強く投げつけられない、穏やかな節分を重ねている。

節分前日、ふと思う。そういえば節分ってなんでやるんだっけ?調べてみると、節分は季節を分ける立春立夏立秋立冬の前日のこと。あれ?節分って2月3日だけじゃない?しかも2月3日じゃない年もある?魔を滅する=豆で室町時代あたりから始まった文化で、炒り豆なのは魔の芽が出てこないように炒っていたと……。知らなかった。日々勉強だなと改めて感じました。子供達にも教えてあげよう。

 

笑う門には

福は内。福のイメージに、たくさん笑っている映を私は思い浮かべますが、笑いの効能はいろいろ言われていますね。笑うことで免疫アップ。たくさん笑っていたことで癌が治ったという奇跡のような話し。親父ギャグをお父さんが言うと家庭の雰囲気が和やかになる。笑わせたり、受容的な態度を親がとっていると、子供も同じような反応をするので、学校で人気者になる傾向にある……など。つまりこの節分というタイミングで、家族を笑わせたら招福効果は激増するということなのだろう。どの程度かはわからないけれど、いざ。

2月3日の夜。袋詰めの豆を持った子供と妻。そこへ登場した、鬼役の私。その姿は上半身は生身。鬼の顔は腹部に水性ペンで描き(我ながら傑作)、クネクネと大げさに身体を捩らせてみせます。よし、ウケた。

だがそこからが大変。テンションが跳ね上がった子供と妻が喜々として、渾身の力で袋豆を投げつけてくる。当然のことながら、生身の腹に浮かぶ鬼目掛けてオーバースローでなげつけるので、痛さが半端じゃない!しかも袋豆、開封しやすいようにそれぞれの辺がギザギザとした形状。かすめるだけでもすごく痛い。心の中で思う。(このデザインにしたの誰!?)いや、私が悪いのだけれど……。

終了後、皆はしゃぎ過ぎて息も絶え絶え。でも「楽しかった」と言ってくれたから、がんばった甲斐があったかな、痛かったけど。

来年は服を着て鬼役をやろうと心に決めた、節分の夜なのでした。

 

子育て中の家庭に、もっとハッピーをと思い、私が好きな本を張っておきます。

明橋大二先生の「子育てハッピーアドバイス」という名著。この本にたくさん救われました。優しい表現でマンガ主体で読みやすいので、どなた様にも手に取りやすいと思います。

気になった方、今子育てに課題を感じておられる方がいたら、ぜひ一度読んでもらいたい一冊なのです。

 

 

 

魔を滅っし 福は内にと豆撒いて

     笑え 鬼まで逃げ出すほどに

 

 

 

 

 

磨けども磨けども

今回は新年の目標がテーマ。大切なことを忘れないための、振り返りをしようと思います。

 

1月ももう半ばを過ぎ、、新年の目標を振り返ってみると、今のところちゃんと継続できており、これは幸先がいいと思う反面、飽きやすく忘れっぽい性の私は、いつまでこれを続けていられるか内心ハラハラした気持ちでもいます。

私の新年の目標の一つは、「掃除」です。

今までちゃんとできていなかった掃除ですが、今年は気合を入れて頑張ると誓い、年末から少しずつ、仕事が休みの日には欠かさずに取り組んできました。綺麗にできる箇所やエリアを拡げながら継続していくと、前回やり残したところが気になったり、あまり普段の生活で気に止めてなかったところが気になってくる。本気でやり始めると、その分成果が目に見えてわかる。何より家族に喜んで貰えることは、嬉しいなと感じ、もっとやろう、もっと綺麗にしようと、次へのモチベーションになっています。

特に玄関とトイレ、水回りは力を入れて、時間を多めに取って掃除をしています。掃除をしていると感じる。やっぱり汚れやすいところなんだなという実感。

昨年からやろうとしてできていなかった、しっかり目の掃除。1年掛けてやっとやる気になり、今までやってこなかったことを反省すると共に、大変だけど、掃除にちゃんと向き合うと、いろんな「できた」を重ねられると感じました。家族のために「できた」。自分のためにも「できた」。居心地の良い空間を保つために自分から何かが「できた」。やれてなかったところを綺麗に「できた」。面倒くさいと、大変だとばかり思っていた、今までの自分には気付けなかったこと。認識が変わり、行動が変わり、小さくとも確かな能動的成果を積み重ねる。そう考えると、掃除は簡単にできる、自分を、周りにいる誰かを大切にする行為なんだと思いました。自己肯定感を高める方法で、その日にあった良いことやできたことを3つ書き出して日記を付けていくという方法があるらしいけど、掃除って、前向きに捉えて、力をいれて取り掛かれば、それだけでいっぱい日記が書けそうだ!

昔聴いた、ある海外の話し。その街は至る所に落書きがあり、犯罪率も高く住みやすい町ではなかった。そんな中、どこからか町を綺麗にしようと立ち上がった人達がでてきました。少しずつ綺麗になる町。すると、不思議なことに犯罪率も減少したとのこと。環境が良くなることで、人々の心にまで作用することがあると学んだ、印象深い話しでした。

掃除ではないですが、最近「夢をかなえるゾウ」という本を読んでいます。成功者と全く違う生活を送り、悲嘆する主人公の元に、インド旅行で買ったガネーシャの置物が、主人公を導く神として顕現。様々な課題を与えられながら成長していくという話し。その中に、靴を磨くというものがありましたが、それを読んだ時はっとしました。当たり前なこと、見過ごしがちなことに、しっかりと向き合うこと。見えにくいものに目を凝らし、小さな音に耳をすまさなければいけないと改めて感じつつ、できていない自分にただただ反省の念を抱くばかりでした。

基本的なこと、やっぱり大事だなぁ。

昔仕事で関わったお客様が言っていました。「誰かのために何かをする、それを『徳を積む』というんですよ。」と。徳積み、今の自分はどれだけできているかと思う今日この頃。2023年、良い年になるよう頑張ろう!

 

 

 

『磨けども 覧れば見るほど視えてくる

           心の養生 それは徳を積むこと』

 

 

 

 

 

 

イヤホンで閉ざしていた世界は

今日はイヤホンを切り口に、感じたことを書こうと思います。

 

 

〜不足感を埋めるように〜

学ぶことで、人生を今より少しだけでも良くしたいと願うのは、私だけに限ったことではないはず。でも、いつそれが成果を出すか、どのくらい実を結ぶかはわからない。もどかしいことです。それでも、学ぶということをずっと血眼になりながら続け、この投資は未来の自分にとって、自己満足以上の何かにつながるはず。そう思いながら、今日もスマホとワイヤレスイヤホンを手に取る。そして、YouTubeやお気に入りのラジオの番組を聴き流しながら、一人だけの学びの時間に潜る。特にこの一年程は、通勤時間や、仕事が休みの日の、ちょっとした隙間時間を見つけては、欠かさず行う儀式となっていました。食器を洗いながら、洗濯を干しながら、時間を無駄にするまいと躍起になっている自分がいました。ただひたすらに、知識欲の赴くままに。それは、時として行きすぎな、異様な執着に囚われた姿だったかもしれません。冷静に、客観的にこの事態を俯瞰して見れたのはつい最近。一時の強迫観念とも思えるそれは、一時より少し落ち着きましたが、未だにイヤホンは、私にとって、欠かすことの出来ない生活の共となっています。

いつの頃からか、足りない自分を情けなく思い、学びや自己啓発には敏感になっていました。TV、雑誌、啓発本、ラジオなど、様々なコンテンツで気に入ったものを見つけては、足りないピースを黙々とはめるように情報に触れていました。が、それはまるでフレームのないパズル。埋めても埋めても不満足で、いつの間にか、自分がやっていることは意味がないのではと、時々感じるようになっていました。

 

 

〜イヤホンをはずしたら、閉ざしていたドアが開いた〜

ある朝のこと。後になってみれば、それは福音と言ってもいいくらいなのではと思うことではありましたが、とにかく、この日の私の気分は少し沈みがちでした。不運にもスマホの充電がされておらず、温存する為朝の学び時間はおあずけに。

電車に乗り、ガタガタと揺れる車内。その時、いつもと何かが違うと感じました。視覚を、聴覚を、触覚や身体を刺激する感覚が、いつもよりクリアに感じられました。顔を上げると、流れる車窓の景色は、一月の朝日を浴びながらオレンジ色に輝いて見えて、それは、ここ暫く感じることのなかった、忘れていたような感覚でした。

電車を降りて、一歩、また一歩と足を運ぶ、そんな何でもないことが、やけに重く、リアルな感覚を神経に乗せて脳に伝わって来る。

古い民家の傍に佇む老木は、冬の朝の冷たい空気に晒されて、余計に寒々しく見えました。

いつもと同じ世界、いつもと同じ景色。

ある意味、この一年程の自分は、未来を、自分の世界を開こうとして、逆に閉じてしまっていたのではないだろうか。イヤホンをすることで、感覚を閉ざし、本当は身近にあったはずの世界の輝きをたくさん見逃してきたのではないか?そう思いました。

とは言え…。やっぱり自分の学びの世界に没入するのも、元々好きだったんだよなぁ。それはそれで続けるけれど、でもちょっと控えめにしようかな。何でもバランスが大事だ。感動は彩りある人生には必要なもの。情動を感じ取る感覚を自ら閉ざしてしまっては、何だかもったいない。

どなたが言っていたことだったか…、閉運という言葉はないけれど、開運と言う言葉はある。運は元々閉ざされていて、自ら開こうとしなければ開かない…、だったかな。

「閉じる」ことはかんたん。耳も心も在り様も。もっと今を、そのままを肌身に感じて、小さな一つ一つを大切にしなければ!その積み重ねが、多幸感を感じるためにも必要なのかもと省みつつ、これはこれで良い学びだったと思うのでした。

 

 

文末に、記事に合わせた詩歌の様なものができたらと思っております。これも一つの挑戦。良いものができたらいいなぁ。

 

『まだ足りず 

  まだ届かずと空を掻き

       視える景色は薄霞みの宇宙(そら)』

『感覚に

   身体に心に響いたものに

   耳を澄ませば

      聴こえる小さな幸せの音』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

初めてのブログ

 

初めまして。

新年を迎え、何か新しいチャレンジをしたいと思っていましたが、昨年からずっと二の足を踏んでいたブロガーへの挑戦、遂にその一歩を踏み出すことができました!

 

方針としては、自分磨き系中心の雑記ブログを考えています。勇気を持って、まずは一記事書いてみようと、ざっくりとした方針のまま進み始めているので、暫くは暗中模索です。

 

簡単な自己紹介です。男性です。社会人です。好きなことは、自分磨き系の本、ラジオ、将棋、ギターを弾くこと、コーヒー、剣道などなど。どれも秀でたものはなく、趣味や普通よりも少し好きのレベルですが。

 

タイトルについては、維新志士の高杉晋作先生が遺された「おもしろきこともなき世をおもしろく」という句が素敵だなと感じていて、そのリスペクトから。

いろいろ息苦しいことも多いけれど、もっと大変な激動の、命がけの時代を生きたはずの人物の遺した言葉に救われています。

どんな困難があっても、どう捉え、どう生きるかは結局自分の心次第だと、この言葉を思い出すたびに、自分の心を調律しているような、私の心の支えになっている、大事な言葉の一つ。大変なことも悲しいこともあるけれど、そこから先の道の歩みは自分次第。生きるはもっとおもしろくできる!

 

これからも、毎日を豊かにすること集めや、気づいたこと、おもしろいことなどを書き留めながら、学び多き日々を過ごせる、これから綴る記事が、その一助となればいいなぁと思いつつ、そして願わくば、他の誰かにとっても役に立つものができたらと思う今日この頃なのです。